継続できない備忘録

ブログが続かない人間が書く備忘録です。

梅雨の半ばで

ほら、SNSをマメに更新できない自分です。

梅雨も後半でございますが、皆様いかがでしょうか?

東京では、あまり梅雨時は雨が降らないそうで水不足とニュースでやっておりました。それでも、今朝はこれでもかってくらいアスファルトを水が叩いておりました。枯れかかかる紫陽花を横目に、今年も夏がやってくるんだなあと思いながら.....

 

夏といえば、私にとって忘れられない恋がありました。とっても。

大切な歌をたくさん書きました。とても濃度の濃い時間でした。人間に生まれた以上、こうやって誰かを愛したり、想ったりする時間は大切だなあと思うんですよね。

人間として、誰かを愛したり愛されたり、嫉妬に狂ったり溺れたり、忘れるために酒を飲んだり飲まれたり、気づけば明日、明後日と、そして気づけば秋になり、肌を寄せ合う冬となるんですね。。。

 

ジャズでBut beautifulという楽曲があります。どんなに辛い恋があって、でもそれでも、恋は美しい。そういう歌です。

 

さあ、皆さん、夏がきますよ。恋、しましょう。私がいうのもなんですが。ふふふ

 

梅雨時に梅酒作れるくらい余裕のある暮らしが夢です。

人生のスポットライトについて

人生は有限。そうやって歌いだす私の楽曲「人生のスポットライト」人生は限りがある。と、最初に銘打ってしまう。別にやさぐれてるわけでもメンヘラなわけでもヤンデレなわけでもない。(使ってみたかったのこの辺の若者カタカナワード)人は、どんな時でもスポットライトが当たっていると想定し、言葉を紡いだ一曲。

ー覚悟決めたら、もう怖くないわ。折れた時が勝負ー

七転び八起きとはよく言ったもので、人間はそんな簡単にへこたれない生き物に神様がしてくれている。だから、諦めなければどうにかこうにか生きてはいけるのだ。

そんな図太さで生き続ける私。友人たちには鉄の心臓などと失礼なことを言われることもしばしば。

そして、この楽曲は最後にこう結ぶ。

「結局、私の敵は私。人生一度きり楽しむだけ。」

言葉の通りなのだ。命ある限り、燃やし続ける。つまづいたり転んだりした時、足を引っ張るのは他人様ではなく自分なのだと思うのだ。

この曲はメロディーが出てた時から、大所帯で管楽器を入れた編成でいつかやりたいな。とそう思っていた。そうしたら、叶った。感謝です、我が師匠。

小編成でピアノトリオとかとする時ならまた違ったアレンジ書かないといけないなとも思ってるんですけどね。

でも、この曲のリズムは絶対にスウィング。これだけは譲れない。

 

そんな私の灰汁がたっぷり詰まった一曲。

一度、聴いてみてくださいまし。

 


人生のスポットライト(FULL)

心のストレッチ

蛇口に手を伸ばすのがやっとの頃で、母が私のために生協で取り寄せてくれた黄色い持ち手の安全包丁を手にまな板の上で食材とリズムを刻む。
朝になると母が商売から帰ってくる。酒気帯びながら軽い足取りで何を作っているのかと尋ねてくる。

その日、私が作っていたのは母がよく作ってくれていた薄焼き卵で味の付いたご飯を巻いたもの。母はそれをつまみ食い。その時、母は嬉しそうに「おいしいやんか。」と言い残し風呂場へ消えていった。

 

 その日から、私は料理をするようになったのだ。

 

料理での失敗はそれほどなかった器用な私だが(自画自賛は置いておいて)小学二年の頃、食べるものが冷蔵庫になく、冷凍庫にあったものを食べることになった弟と私。使用禁止とされていた油鍋に火をつけ、カラッと揚がった冷凍食品の天ぷら。そこまではよかったのだが…。

問題は起こった。油の温度が下がらない。これでは油鍋を使ったことがバレてしまう。怒られる。窮地に追いやられた私は、あろうことか百七十度の油に氷を二つ手にとり放り込んだ。子供の思考とは本当に恐ろしい。火は消えていたにせよ、熱々の油は噴水のように吹き上がり、咄嗟にフライパンの蓋を油鍋に被せ、事なきを得たのだった。

その後、父から床が油で滑るけれど何かしたのか?と聞かれたが知らん顔をしてやり過ごした。これは、二十年近く経ってから父に話し笑い合う事ができたが、一つ間違えば大火災になりかねなかった。嗚呼恐ろしい。運がよかった。それに尽きる。

現在の私にとって、料理する時間とは心のストレッチのような、それでいて、誰かに振る舞うときはステージの上にも匹敵するもてなしの気持ちになれる。そんな貴重な時間である。

 

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これで何度目の正直か、、

初めまして。

音楽家として大阪より出てきた新米都民 柳野ダイスケです。

これまで生きてきて、パソコンが家庭に普及して早幾年。その間にホームページやブログ、SNSといったものに手を出しては飽きてを何度繰り返してきたんでしょうか。

今回、このちょっと読みにくいデザインを見つけて、ちょっと面白そうだったので、もう一度チャレンジしてみようと思い立ったのでした。

 

私は、幼少より音楽とともに生きてきました。最初は母の想いを背負って鍵盤に向かい、気が付けば自分から求めるようになっていました。私の音楽性を育んだのは、きっと育った環境も大きく関係していました。それは、また追い追い。

大阪でも音楽はできます。ですが、東京で何度か演奏したときに、ここでやりたい。そう思い立ってやってまいりました。この記事を読んでくださったのも何かの縁。何卒これからも応援してくださいませ。